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| 琵琶湖の豊かな恩恵を。 |
日本最大にして、世界的にも最も古い湖のひとつ、琵琶湖。
その肥沃で多湿な風土で生まれ、はぐくまれてきた近江上布は室町時代から生産され、幕府への献上品として古くから利用されていた。
近郷で良質の原料が手軽に入手でき、強靭な撚(より)糸が得られ、江戸時代になると彦根藩の手厚い保護のもと、農家の副業として麻布業は飛躍的に発展した。
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| 近江商人の主力取り扱い商品 |
近江上布の名を知らしめたのは近江商人である。近江商人は、他国へ行くときの持ち下がり品の一つに麻布を売り、帰りにはその地の商品を買ってきて往復商売をしたので、近江上布の名が全国へ知られるようになった。
天明年間(1781〜1789)に彦根藩は麻布改役所を設置し品質の向上に努め、幕末には板絞絣の発明などがあり、近江上布の名声はさらに広がった。 |
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最盛期は60万反にも…。 |
明治に入り、政府の肝入で、紡績機械と織布機械を備えた近江麻糸紡績会社が設立され、それ以降、滋賀県内には多くの麻布関係の会社が設立された。
近江上布はここにきて、生産量のピークを迎え、近江麻布同業組合を設置。検査員を置き品質の粗製化防止に努めた。その生産高は年間約60万反にも上った。
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| 量より質を求めて |
生活様式の変化と経済不況のあおりで、生産量は大正時代に入ると逓減し、生産構造は二極化する。大きく分けて広幅の麻織物は洋装品に、小幅は女性の夏の着物用や襦袢などに変化していくが、洋風という大きな社会の流れに対応できず、昭和に入って生産量は激減する。
その後、伝統を守りながら麻縮絣の技法などを生み出した職人だけが、今も近江上布を織っている。 |